[ 三 悩み ]
子どもたちが十歳を過ぎた頃、権大納言はとうとう諦めた。
(こんな奇妙な子どもを、しかも、ふたりも授かることになろうとは。御仏の気まぐれか、天狗の悪戯か。いずれにせよ、もはや成るようにしかならぬ)
そうして、世間の誤解のままに兄君を姫君、妹君を若君と呼び慣わしてのち、権大納言は新しい邸宅を構え、ふたりの奥方と子どもたちも呼び寄せて、そちらに移り住んだ。
東の対に寧子姫と、姫君(実は若君)。
西の対に、隆子姫と若君(実は姫君)。
権大納言自身は中央の寝殿を座所としたが、どちらか片方の奥方を共に寝殿に住まわせることはしなかった。代わりに、月にきっかり十五日ずつをそれぞれの奥方のもとで過ごし、まったく分け隔てがないようにした。
かくて、月日は流れる。
春のつれづれ、物忌に邸内で時間をもてあましていた権大納言は、ふと思い立って東の対に足を向けた。
木の香も清々しい渡殿を歩み、妻戸に差し掛かった辺りで、かすかな箏の琴の音色が聞こえてきた。
思わせぶりにかき鳴らす風ではない、ごく忍びやかな弾き方に、部屋の奥をのぞいてみれば案の定、姫君が几帳のかげに隠れるようにして爪弾いていた。
御前には女童がひとり居るだけで、そのほかのお付き女房たちは部屋のあちらこちらで碁や双六などをして、それぞれにくつろいでいるようす。
「また、このように奥に引きこもっておいでか」
そう言いつつ几帳を脇に押しやると、ふいの訪れに驚いた姫君が手を止めた。
「今が一番美しい季節ではないか。たまには御簾を上げて庭の花でも眺めてはどうかね。あるじのそなたがこう閉じこもってばかりいては、女房たちも気詰まりだろう」
そばに腰を下ろし、あらためて姫を見れば、なんとも可憐な風情である。
桜の衣を六重襲にし、蒲萄染めの織物の袿を羽織ったその色合いも春らしく、身につけた本人の器量とあいまって、袖口や裾のあたりまでも何とも言えない趣がある。
つややかな髪は身の丈よりも七、八寸(22〜23センチ)ばかりも長く、その先端がゆらゆらとなびくさまは、物語にあるような「扇を広げた」というほどには大げさでなく、ちょうど薄の穂が秋風に揺れるようすを見るようだ。
(いにしえのかぐや姫はさぞや美しかったろうが、我が姫ほどに愛らしい美しさではなかったろうよ)
親の欲目も多分にあろうが、誰が目にしても同じように感じるに違いないと思うにつけ、
「どうして、このように育ってしまったやら──」
思わずこぼしながら、近く引き寄せた姫の髪を掻きやれば、姫の方はたいそう恥ずかしがって父殿から離れたがっているのがありありと分かる。
だが、実際には動くことも出来ないと見えて、次第に頬のあたりが紅梅が咲き初めたような色合いに染まり、涙ぐんでいく目元がいっそう艶めいていくようすが、我が子ながらいつまで眺めていても飽きないほどの美しさだった。
(本当に女だったら、どんなに良かったことか)
化粧をした女が美しいのは当たり前だが、この姫は化粧などまったくしていない。だのに、少し汗ばんでいるせいか、本当なら形に苦心する額髪がちょうど良い具合に顔にかかり、おしろいをぬってもいないのに、肌の色は透き通るように白い。世の女性はこうあるべしという見本のようでさえある。
だが、どれだけ美しかろうと、この姫を世に出すわけにはいかない。
(将来は、やはり尼にさせるしかないのか。まったくもってもったいないことよ──)
いかなりし 昔の罪と思ふにも この世にいとどものぞ悲しき
姫君のところから今度は、西の対へと行ってみた。
こちらの対からも音色が──今度は、空高く響き渡るような清冽な横笛が耳に届く。
(この笛の音は、あの子か)
まず間違いなく、西の若君に違いない。あまりに見事なその音色になんとも複雑な気分になったものの、権大納言は何気ない風をよそおって部屋をのぞいてみた。
「あ、父上。いらせられませ」
すぐに父の訪れに気づいた若君はにこりと笑い、吹き止めて居住まいを正した。
周囲には、同じ年頃の子どもたちが何人か、これも笛を手にしているところを見ると、皆で吹き比べでもしていたのか。
「ああ、良い良い。絢貴、もう一度今の曲を聞かせておくれ」
「かしこまりました」
本名のとおり「絢子」と呼ぶわけにもゆかず、東の姫君の一字をとって「絢貴」と呼ばれている若君は、父の望みを快諾して、再び笛を口元にあてた。
桜、山吹など、こちらは色合いも鮮やかに重ね着したうえに、萌黄の織物の狩衣と蒲萄染めの指貫を着ている。顔は子どもらしくふっくらとしており、肌の色もつややかで、いささか伏し目がちになった今など、目元の辺りには何とも言えない色気さえ感じられて、華やかなことこの上ない。
横笛を一心に吹きすますようすは一幅の絵のようで、こちらも我が子ながらついつい見惚れてしまうほどの美しさ。自然と微笑まれてしまうほどの愛らしさだった。
(もとの通り姫として育てられたら、どんなに良かったことか──)
髪も、東の姫君ほどは長くないものの、身の丈にすこし足らない程度。しかし裾のあたりは扇を広げたようで美しく、形の良い頭のあたりといい、もっと長く伸ばして、きちんと支度させたらば、いまの何倍も美しく誇らしいに違いないと思うにつけ、残念でならなかった。
だいたい、周囲にいる子どもたち──いずれも身分の高い家の子どもたちで、絢貴の幼なじみたちでもある──も、うっとりと笛の音に聞き入っているが、まさかこの若君が実は女などとは夢にも思っていないだろう。だが、本来ならばこの者たちは、美しい姫君を求める求婚者の群であるべきなのに。
(まったく何としたことよ。この姫も、東の『姫』も、このままでいては良くないのは確かだが──しかし、特にこの姫は、今さら何を言っても聞かぬであろう)
絢貴君は、決してひねくれた子どもではない。むしろ気持ちよいほど素直だが、このことに関してだけは頑固だった。
(この子も、法師にさせるほかは、ないのか。まことの男であったなら、この器量、どれだけの栄華を極めるやも知れぬのに)
もしも、本当に男であったなら。
絢貴君の欠点は「実は女である」、その一点に尽きると言って過言でない。
幼い頃から熱心に身につけた教養は、すぐにも元服して差し支えないほど立派なものだ。横笛は言うまでもなく、琴の腕前もたいしたもの。読経の声、歌を謡い、詩を吟じる声などは、まさしく時を忘れてしまうほど。
男であれば、女であれば、と心は千々に乱れる。
(私の信心が足らぬせいなのか? なぜにこのような奇妙なことで悩まねばならぬのだ。なんとか、すべてが良い方向に向かってはくれぬものか──)
権大納言は、周りにそれと知られぬよう、深々とため息をついた。
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