[ 四 成り行き ]
絢貴が十四歳になった頃、その評判はとうとう宮中にまで届いた。
「近頃、若い者たちが噂するのを、しきりと耳にするが──」
清涼殿にて、御前での議事を終えて一息ついた頃、まず東宮がさらりと切り出した。
御年二十五になられる東宮は、その高貴な身分にも関わらず、ずいぶんと気さくな御方である。その東宮が仰られるに、
「権大納言家の総領は、まれにみる逸材だそうな。したが、私も主上も、その姿を見たこともない」
「は──」
一体何を言い出される気かと危ぶみながら、権大納言は慎重に返答した。
「人の噂は不確かなもの。さしずめ、背ひれ尾ひれと申すものでございましょう」
「おや、清成殿。ご謙遜を」
その冷や汗まじりの答弁を遮ったのは、同席していた源中納言。
「先日、わたくしはこちらのお邸に寄せていただいたばかりですが──」
「件の者に、会うたか」
ずしりと重い一言が、御座から投げられた。
「はい、主上」
帝そのひとのご下問に、中納言は頭を垂れた。
「人となりは」と、東宮。
「はい。噂に違わず。いえ、それ以上でございました」
にこりと笑んで、中納言は続ける。
「あの年頃にしては、学問もしっかりと修めておられるようでしたし、笛の腕前ときては、思わず聞き惚れたほどでございます。なにより、あの容貌」
笏越しにちらりと権大納言に向けられた視線は、まっすぐな好意に満ちていて、打算の光など──多少はあったかも知れないが、御前でそれをひけらかすほど愚かでもないようだ。
「花の顔とは、あれこそを申すものかと。まことに愛らしい若君でいらっしゃいました。いや、お羨ましい」
したり顔で、何とも余計な感想を奏上してくれたものである。
「ふむ。よほど外に出したくないと見えるな、権大納言」
笑い含みの東宮の声に、権大納言はあわてて弁解した。
「いえ、そのようなことは。ただ、いまだ小者やらと遊び興じる未熟者を、お目に掛けるも心苦しく」
「それにしても、童殿上もさせておらぬのであろう」
「は……」
「そのように評判の子ならば、ぜひとも見てみたいものだと、主上とお話し申し上げていたのだが」
にっこりと東宮は笑う。
「もったいないお言葉でございます」
「童姿を人目にさらすのが気が引けるというなら、万端整えて出仕させれば良い。それとも、元服にはまだ早い年頃なのか?」
「……いえ、それが、その」
歯切れの悪い返答に、東宮が不思議そうな顔になるのを見て、ますます焦った。
「……なにぶん、年の割に、子どもじみた振る舞いばかり致しますもので……」
しどろもどろの返答は、東宮に一刀両断された。
「何歳になるのだ?」
「は。その……十四、にございます」
「十四?」
鸚鵡返した東宮の声には、明らかな喜色の気配がある。
「それならば、早過ぎることなどなかろう。子どもに過ぎるというが、元服すれば、それなりにしっかりするものだ。我が子が可愛いのは分かるが、あまりに構い過ぎるのも如何なものか」
「は。まことにもって……ですが」
「まだそのように渋るか?──主上、いかがなされます」
権大納言の言葉尻を受けた東宮は、帝にそう申し上げた。
すると。
「よろしい。件の者を、五位に叙す」
打てば響くように下された位に、権大納言は耳がおかしくなったのかと思った。
それは同席していた他の公卿たちも同様だったようで、声こそ発しなかったものの、さかんに目配せし合っている。
「なれば、早々に」
「は──」
茫然自失に陥っていた権大納言は、人の悪い笑みを浮かべている東宮を目にして、悟った。
すべては決定事項だったのだ。身分ある貴族の子どもなら、正式な出仕の前に童殿上をさせるのは当然のこと。それすらさせない秘蔵っ子を、いかにして引っ張り出すか。権大納言が、子ども可愛さに辞退することも十分に予測した上での、高貴の方々の悪戯ごと。
しかし、たとえそうであっても、五位となれば殿上を許される。まさに格段の配慮をいただいたことになる。
「新太夫の殿上、楽しみにしている」
「有り難き、幸せにござりまする」
もはや、平伏して御礼を申し上げるしかない権大納言だった。
(何ともはや、大変なことになった──)
這々の体で自邸に帰り着いた権大納言は、ひとり、寝殿で頭を抱えた。
(位まで頂いた以上、何が何でも出仕させねばならぬ。しかし)
絢貴は、女である。
(いっそのこと、東の姫を)
髪を切らせ、本来あるべき姿に戻して。
(いいや。あれは、絢貴の器量には、とうてい及ばぬ)
男としての素養など、何ひとつとして修めていないのだ。そんな腑抜けを宮中に出したが最後、笑い者になるのは目に見えている。いや、笑い者になるくらいならば、まだましというもの。
(あれだけのご期待をいただいておきながら、それを裏切るような真似をすれば)
帝の御不興を買うは必至。いや、不興を被るくらいで済めばよい。帝を愚弄した咎で、累は一族郎党に及びかねない──。
どう考えても、道はひとつしかなかった。
「どうなさいましたのでしょう」
「お帰りになるなり、人払いして篭もってしまわれて。宮中で、何事かございましたのでしょうか」
主人付きの女房達がひそひそと噂し合っているところに、ぱちりと扇の音を響かせた。
「──御前に」
「絢貴を、これへ」
「かしこまりまして」
すぐさま衣擦れの音が西の対に向かうのを耳にして、権大納言は大きく嘆息した。
「父上。お呼びと伺い、参上いたしましてございます」
「うむ」
権大納言は絢貴君の口上に頷いた。
「そなたを呼んだのは、他でもない」
「はい」
かしこまって父の言葉に耳を傾けている姿は、まことに愛らしい。
「御前に参った折り、主上より位を頂いた。今日より、そなたは五位じゃ」
そう告げると、さすがに驚いたと見えて絢貴の目が丸くなる。
だが、余計な口を挟もうとはせず、じっと父の言葉の続きを待っている。
「しかし、そなたはいまだ童。よって、このほど元服を許す。早々に吉日を選び、冠の儀を終えよ」
「かしこみまして」
絢貴は平伏した。その動作も流れるようで、淀みがない。
「絢貴。これへ参るが良い」
扇で差し招くと、絢貴はつと立ち上がり、素直に父の側まで歩み寄った。
女房たちはすべて下がらせてある。他に人の気配がないのを確かめた上で、権大納言は絢貴の髪を撫でた。
「何とも、面倒な次第になったものよ。主上のお声掛かりとなれば、断ることなど到底出来ぬ。──そなたが、真実、男であったならな」
本当に男ならば、これほど晴れがましいこともないと言うのに──。
「父上」
「何だね」
「わたくしでは、主上のご期待に沿えないとお考えですか?」
「いいや。そんな心配は、露ほどもしておらぬ」
いくぶん不安げな絢貴の声に、権大納言は笑んでみせた。
「有り難くも世の評判はなべて高いが、そなたがそれに劣るとは思わぬ。自信を持つが良い」
「はい」
「ただし、このことだけは、何があっても隠し通さねばならぬ。世に露見した時は、我が家の終わりぞ」
「はい、父上」
さすがに神妙な顔になって、絢貴は頷く。
「決して誰にも知られてはならぬ。──良いな?」
「お約束いたします、父上。決して、誰にも気づかれないと」
真剣な表情で約束する絢貴に、権大納言は笑んだ。
かくて、世に名高き絢貴君は、初冠をいただくことになったのである。
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