[ 七 中将参上 ]







「さて、御方々。世に姫君は多かれど、当代一の美姫は、いずれの御方と心得る?」

「さてもさても。やはり弘徽殿こきでんの女御さまにござろう」

「いやいや。麗景殿れいけいでんの御方こそは──」

「いや、しばし待たれよ。彼の方々の素晴らしさはまことなれど、皆十分に存じ上げるところ。あえて只今、語り尽くすには及ばぬであろう。──それよりも、どなたかご存知ないか。いまだ表に現れぬ、奥ゆかしい御方を?」





「……という語りが、昨夜あったのだがな。どなたの名があがったと思う?」
「さて。なにぶん、私は粗忽そこつ者ゆえ。そのような話題には、とんと疎くて」
 にっこりと、それこそなまじの女よりも美しい笑みを向けられては、さしもの色好みも分が悪い。
「では答えて進ぜよう。まずは、右大臣様方の四の君。そうして、そなたの妹御だ」
「ああ。四の君の評判なら、さすがに私も存じてますよ。右大臣さまが、掌中の珠のごとく慈しんでおられるとか」
「それは妹御も同じだろう?」
 含みを持たせた声で尋ねると、絢貴が首を傾げた。
「何です?」
 その耳元にささやいた。
「聞いたぞ。何でも、主上からお声が掛かったそうだな?」
「おや。ずいぶんとお耳の早いことですね。広晃ひろあきどの」
 心底感心している口振りに、男は扇をかざして嘆息する。
「しかもだ。権大納言さまは、それをお断りになったそうだな……?」
「ええ。何しろ、妹の恥ずかしがりは、いささかならず度を超しておりますのでね。宮仕えなど、できるはずがありませんから」
 いっそ朗らかなまでに明るく言い切る絢貴を、恨めしく見た。
 帝の伯父にあたる式部卿宮しきぶのきょうのみやの御一人子の君──広晃は、絢貴よりも二歳ばかり年長である。
 さすがに絢貴には一歩も二歩も譲るとはいえ、こちらも当代を代表する貴公子の一人。しかも、風流人という観点からゆけば、真面目一辺倒の絢貴は足元にも及ばない。
 容姿・家柄共に申し分ない彼を、目敏い宮中の女房たちがほうっておくはずもなく、広晃の回りはいつも華やかな話題に事欠かない。
「そのご様子では、まだ諦めておられないのですか」
「当然だろう」
 即答した広晃に、絢貴は苦笑している。
「お諦めください。そのほうが、貴方のためですから」
「つれないな、そなたは。親友の恋の橋渡しなど、しようとも言ってくれぬのか?」
「可愛い妹が、むざと不幸になる姿を見るに忍びない兄の気持ちを、ぜひお分かり頂きたいものです」
 一見にこやか。その実、とりつくしまもない絢貴の態度だが、いつものことなので広晃は気にしない。というよりも、毎日顔を合わせるたびにこれなので、もはや挨拶代わりになってしまった。
「ああ、不幸な男だ、私は。これほど思い悩んでいるというのに、どなたも真剣に取り合ってはくださらない」
 絢貴に橋渡しを頼むまでもなく、広晃はせっせと両方の姫に文を書き送っている。しかし、やや軽薄な人柄が災いして、どちらからも返事はまったくない。
 なしのつぶての返答に落ち込んだときは、こうして宮中で絢貴をつかまえて、思いのたけを打ち明けるのが常だった。
 何しろ、絢貴は美しい。
 その艶やかな美貌を目にするだけで、慰められる心地がする。さらに、兄である侍従がこれほど美しいのならば、瓜二つと言われる妹姫はどれほど美しかろう──と、姫君を手に入れたい気持ちはますます高まる。
 その一方で、同じくらいに評判の高い四の君をも、手に入れたいと思う。
 情が深いのは結構だが、それがあちらこちらに、しかも分け隔てなく振る舞われるので姫君の側仕えにはすこぶる評判が悪く、誰も仲を取りもとうとしてくれない。
 せつせつと胸のうちを明かしても、絢貴は慰めてはくれるものの、こと妹姫のことに関しては、手のひらを返したように態度が頑なになる。
「そなたは、いつもそうして澄ました顔をしているな。私のように、哀れにも恋い慕う御方はいらっしゃらないのか」
 決して取り乱すことのないその涼しい態度が恨めしくてわざと絡んでみても、困ったように微笑むばかり。
「私には、貴方のような甲斐性はありませんから」
 本命は四の君と妹姫──ただし、一夜の恋人ならば両手指の数にあまるほどいる広晃に、絢貴はそう言って謙遜してみせる。


「何が不思議と言って、あの生真面目な侍従の君と、色好みの中将どのが、親友であることが一番の不思議よな」


 語り合うふたりの姿を、ある者は微笑ましく見守り、ある者は、その仲の良さを少しでも分けて欲しいと羨んでいる。
 そうして、時の帝は、この絢貴の身持ちの堅さを、非常に好ましく思っていた。




 帝は、御年、四十歳余になられる。亡き皇后の忘れ形見である女一の宮をとても可愛がっておられるが、この頃になって、その行く末を案じ始めていた。
 帝の御子は、この女一の宮と東宮のふたりきり。帝には、ほかに右大臣家の一の姫が女御としてお仕えしているが、摂関家の姫ではないために立后できない。また東宮にも、いまだ皇子が産まれていない。
 昨今、体調が思わしくなく、遠からず位を譲ることになろうかと思っていたが、ほかに皇子のいない現状では、女一の宮が東宮として立つことになる。
 女一の宮の後見はさほどにしっかりした人物ではなく、また、女一の宮自身も帝が壮年になってから授かった子なので、いまだ幼い。
 そうした中、いわば鳴り物入りで出仕したにも関わらず、万事に控えめ、人当たりも良く、目を見張るほど聡明な侍従の君の姿は、非常に好もしかった。
 いずれ、侍従を女一の宮の後見にできまいか──そう思ったのだ。
 しかしその一方で、侍従の妹姫の評判が高いことが、逸る気持ちを押し止めた。
 何しろ『あの』侍従の妹姫である。どれほどの美しさか、想像に難くない。
 その妹姫を見慣れているに違いない絢貴が、女一の宮を目にして心中落胆するのではないかと思った。
(まだ、早い。宮が、もう少し成長してからでも遅くはなかろう)
 そう判断した帝は、わずかに侍従の父、権大納言にそれとなく意向を伝えるだけに留めた。
 その意向を承った権大納言が、何とも複雑な心境になったのは言うまでもない。




 しかし、そうこうしているうちに、帝の病状はますます思わしくなくなり、やがてついに決意された。
(これほど病が長引くと言うのは、やはり天の思し召しであろう。古の世にも、しかるべき例があったと聞く)
 女一の宮のことが何とも心残りではあったが、こうとなっては致し方ない。
 東宮に御位を譲り、女一の宮を新東宮として据え、御自身は朱雀院すざくいんの御所にお移りになった。
 代替わりを機に、権大納言の父もまた年齢と病を理由に位を返上し、出家された。新たな関白左大臣には、嫡流の権大納言が就任した。
 ほかの公卿も次々と昇進する中、絢貴の侍従は三位中将さんみのちゅうじょうとなった。




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