[ 八 婚約 ]
「大姫が立后出来なんだのは、返す返すも残念だった。しかし、これで院にご遠慮申し上げずとも良くなったわけだ」
新帝登極に対しての廷臣たちの思いは悲喜こもごもだったが、中でも右大臣の心中はまさしく一喜一憂というべきだった。
右大臣の子どもは姫ばかりが四人。そのうち大君は帝──現在は朱雀院の女御、中の君は新帝の女御と、すでにそれぞれ入内している。三の君と四の君は未婚である。
姫をふたりも入内させ、家の繁栄は申し分ないはずだったが、あいにく右大臣家には男子がいない。よって、有望な他家の公達を残る姫君の婿に迎えたいと常々考えていたところ、目に留まったのが左大臣家の絢貴君だった。
幸いというべきか、元服の折りに加冠役を務めることでつながりも出来た。家柄の釣り合いも申し分なく、あとは左大臣に意向を伝えるばかり──のはずだったのが、帝も女一の宮の相手に、と思し召しておられるようすが判明したために、おいそれと申し込むことが出来なくなり、歯がみしていた。
そこへ降って湧いた今回の譲位である。
もはや何の憂いもなくなった右大臣は、さっそく父の左大臣に結婚の内諾を得るべく話を持ちかけた。
「当代において、絢貴どの以上に立派な若公達がおりましょうや。是非とも、我が家の婿にお迎えしたい」
しかも、美貌で名高い四の君の婿として、である。右大臣は断られることなど、最初から考えの外にあった。
左大臣家の寝殿で、人払いしての申込み。薄々その気配を感じ取ってはいたにせよ、やはり直に耳にしたのでは衝撃の度合いが違う。
「そう……、ですな」
頭の中が真っ白になりそうなのを何とか押し留め、父君は言葉を紡ぐ。
(とんでもない。とんでもないことではあるが──何と言い逃れできようか)
これがまだ、もっと下位の貴族であれば、家柄をたてに断ることも出来ただろう。しかし、何と言っても天下の右大臣家である。
「何しろ、あの通り、風流も介さぬ無骨者でしてな。恋の道はおろか、結婚など、まったく考えてはおらぬようで──」
「なればこそ、ですよ」
苦し紛れの返答も、我が意を得たりとばかりに右大臣を乗り出させてしまった。
「他家の若君は、こう申し上げてはなんだが、腰の落ち着かぬ者ばかり。宮の中将殿など良い例です。ふらふらとあちらこちらの姫君の元を仮の宿りにするばかりで、一向に定まらぬ。その点、絢貴どのならば申し分ない」
恋多きことが良かれとされる世相にあっても、娘を持つ親の気持ちは別物である。
「絢貴どのならば、我が姫を疎かになさることなどないでしょう。元服してよりこの年月、失礼ながらじっくりとお人柄を見定めさせて頂きましたが、そう確信するに至りました」
「た──確かに、真面目な点だけは、世の人々にも認められているようですが……」
「まったく。ご立派な若君でいらっしゃる」
満足げな笑みを浮かべて、右大臣はずいと膝を進めた。
「まだ早いなどとはおっしゃいますな。さらに、口はばったいながら申し上げれば、我が右大臣家は、これ以上はないほどの後見であると自負しております」
ここまで熱心に望まれて、一体どうやって断ることが出来ようか──。
意気揚々と右大臣が帰っていったあと、左大臣は西の対を訪れた。
「実はな──」
西の奥方に、事のあらましを語って聞かせたとたん。
「あら、まあ。まあ」
隆子姫は、取り乱すどころか、微笑んでさえみせた。
「右大臣さまも、お目の高いこと」
「そのように暢気なことを──」
さすがに左大臣がたしなめると、隆子はきょとんとした表情になった。
「暢気も何も。ご承諾なされたのでしょう、殿?」
「まあ……そのような仕儀に、相成った」
「言葉を飾ったところで、承諾してしまったものは仕方ございませんでしょう。第一、やはり断るといったところで、何と言ってお断りになられますの?」
正論に、ぐうの音も出ない。
苦渋に押しつぶされそうな顔をしている夫に、隆子はなぐさめの言葉をかける。
「殿、ご心配なさいますな。何しろ、四の君といえば、右大臣さまの掌中の珠。あまりに大切にお育てしたので、世の事柄には疎々しい御方と聞き及んでおります。絢貴のようすが多少変わっていたところで、きっとお気付きにもなられませんわ」
「しかしな」
「大丈夫です。あの子は、聡い子ですもの。端目には、まったく普通の夫婦のようにして過ごして見せましょう」
「そうだろうか……確かに、絢貴ならば、やってのけるかも知れぬが」
「そうに違いありませんわ」
力強い奥方の言葉に、左大臣の胸中も晴れてゆく。
「右大臣さまは、あちらのお家が申し分ない後見だと仰られておいでですけれど。絢貴だって、立派な後見役ですわ」
確かに。
まだ年若い絢貴だから多少の心配は否めない。だが、いみじくも右大臣が口にしたように、元服してからこの方、絢貴を誉めそやす者は居ても、女と見破った者は皆無である。それだけ絢貴の行動は軽はずみにはほど遠い。
(何とかなるであろう。絢貴ならば)
そう思えると、不思議に落ち着いた。
「──それでは、絢貴に文を贈らせねばな。誰か、おらぬか」
安心したとなると、とたんに元気になった父君である。
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