[ 十 四の君の思い ]







 ざわざわと、門のあたりが騒がしい。
「何ごとでしょう。誰か、ちょっと見ておいで」
 一のお付き女房である左衛門さえもんの声に応えて、女童がひとり、部屋から抜け出してゆく。
 が、いくらもせぬうちに戻ってきた。
「申し上げます。まもなくお殿様がこちらにお渡りでいらっしゃいます」
 どうやら先触れに引き返してきたらしい。それを聞いた女房たちは、邸のあるじを迎えるための準備を始めた。
「さ、姫さま」
 左衛門に手を引かれ、座を移してほどなく、父である右大臣が姿を見せた。
「いらせられませ。父上さま」
 女房たちが平伏する中、右大臣の四の姫──薫子は、婉然と微笑んだ。
「先ほど、門のあたりが騒がしゅうございましたが。何事か、ございましたか」
 尋ねると、右大臣は満面に笑みを浮かべた。
「おお、左大臣家からの使いが参ったのじゃ。そなたに、絢貴殿からの文を携えての」
「まあ」
 右大臣の後ろに控えていた女房のひとりが、目配せに応じて進み出、まず左衛門に漆塗りの文箱を渡す。
 受け取った左衛門が紐を解き、中に収められていた文を取り出した。
「どうぞ、姫さま」
 香り高い白梅の枝に結びつけられた薄様うすようを広げてみれば、何とも見事な筆跡の歌が一首、初々しいばかりに書かれている。
 思わず、感嘆の吐息が漏れた。
 美貌で名高い四の君である。恋文ならば、それこそ数多の公達から降るように寄せられたが、その中にも、これほど見事なものはなかったように記憶している。
 筆跡を見れば、その者の気性や心映えが分かる。それならこの絢貴君は、まさしく噂に違わぬ人物と言うことだ。
「素晴らしいお手でございますこと──」
「さもあろう。主上からもお誉めの言葉を頂戴しておられたほどだ」
 父の言葉がそれを裏付ける。
「そなたも十九。そろそろ、お相手を決めねばならぬ年頃じゃ。この絢貴君ならば、主上のお覚えもよろしく、家柄も申し分ない。その上、女と見紛うばかりに見目良い若者ぞ。──返歌など、書いてみてはどうかね?」
 にこにこと、しきりに若君を誉めあげる父のようすを目の当たりにして、薫子は素直にうなずいた。
「ええ、父上さま。わたくしもそう思っておりました」
「さようか。これはめでたい」
 手を拍って右大臣は喜び、
「善は急げじゃ。誰ぞ、書くものを」
 すると、これまた後ろに控えていた女房のひとりが、素早く紙と筆とを調えた。
「お待ちください、父上さま」
 それらを目にしながら、薫子は逸る父親をやんわりと押し止めた。
「いかに素晴らしい御方と言えど、あまりに早くお返事を差し上げるのもいかがなものでしょう。たしなみが足りぬと、お思いになられるのではございませんか」
 困ったように訴えると、右大臣もうなずいた。
「それは、そうかも知れぬ。では、明日の朝に届けることに致そう。姫や、それで良かろう?」
「畏みまして」
 薫子が承諾すると、右大臣は満足げにうなずいて寝殿に戻っていった。




「左大臣家の若君と申されますと。やはり、あの」
「あちらに若君様はおひとりきりのはず。間違いございません」
 右大臣の気配が絶えるやいなや、側仕えの女房たちが興奮した口調で噂しあう。
「姫さま。そのお文、お見せいただくわけには参りませんか」
 左衛門たちのおねだりに、薫子はあっさり許可を与えた。
「まあ、何て……」
「お見事な」
「評判通りの御方ですわ、姫さま」
 口々に褒めそやす女房たちに曖昧に笑ってみせる。
「姫さま?」
 さすがに左衛門がそのようすに気付いて、不審げに声をかけてくる。
「何でもないわ。急なお話しだったから、驚いただけ」
 そう告げると納得したようだ。
「さあ、わたくしはお返事を書かなくては。ひとりにしてちょうだい」
「これは失礼を」
「気が利かずに申し訳ございません」
 早くも人払いしようとする女主人に笑みこぼれつつ、ひとり、またひとりと女房たちは退出してゆく。
 最後には左衛門だけが残った。
「姫さま、わたくしは」
 いかが致しましょう、と伺いをたててくる腹心の女房にも、薫子は首をふった。
「おまえも、お下がり」
「かしこまりました。それでは、御用がおありでしたらお呼びくださいませ」
 しゃらりと衣擦れの音をたてて左衛門が局に下がり、母屋の中は薫子ひとりきりとなる。
 ほう、とようやく詰めていた息を吐いた。




 このところの、両親のどこか落ち着かなげな様子には気付いていた。
(このせいだったのだわ)
 まこと将来が楽しみな若者よ──と、父が珍しくも手放しで他人を誉めるのを聞いたのが、一昨年の春のこと。
 思えば、あの頃から父は、絢貴君をこの家に迎えたいと思っていたのだろう。
 確かに、素晴らしい若者なのだろう。誰かしらの口から宮中の噂を聞くにつけ、その名の上がらなかった例しはない。
 けれど。
(わたくしに、姉上さま方がいらっしゃらなければ)
(せめて、三の姉上さまよりもお年上だったら)
 主上のおそばに仕えていたのは、自分であったに違いないのに──。


 麓よりいかなる道に惑ふらむ 行方も知らず遠近おちこちの山


──どの道をお進みになるか迷っておられるのでしょう。さぞかし、あちらこちらに意中の御方がいらっしゃるでしょうから──


 書き上げた歌を吟味することなく、薫子は筆をおいた。



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