[ 十壱 それぞれの思惑 ]
その頃の絢貴君は十六歳。片や、四の君は十九歳。年頃もちょうど良いなら、ふたり並んだようすは、まさしく似合いの一対と言うほかなく、かねて意中の若君を婿取りした右大臣の喜びようときたら、例えようもない。
加えて、露顕よりいくらもたたぬうち、時の大納言が他界され、公卿たちは順次昇進したのだが、絢貴の中将もまた昇進した。権中納言であり、さらに左衛門督を兼任する。この晴れがましさに、両家がさらなる喜びに包まれたのは言うまでもない。
しかし、慶事を言祝ぐ人々の陰で、涙を呑んだひともいた。宮の中将である。
このたびの昇進には、広晃の中将も含まれており、宰相を兼任することとなった。だが、その喜びも半減してしまったのは、やはりこの婚儀による。
「私には、ついに代歌のひとつも返らなかったというのに……」
早々に四の君みずからの手による返歌が送られたと聞き、まさかと危ぶんでいるうち、あれよあれよと言う間に両家の話はまとまってしまった。無論、これらはすべてを取り仕切った右大臣の早業である。
誰はばかることなく──というよりは、親友の絢貴に、切々と四の君への恋心を訴え続けてきただけに、その当人に意中のひとを攫われてしまった衝撃は、宰相中将をうちのめした。
絢貴も、自ら望んだ婚儀ではないにせよ、宰相中将の意に反する結果になってしまったのは確かなので、宮中で顔を合わせるたびに詫びのひとつも、とは思ったのだが。宰相中将はいまだそれを受け入れることが出来ないらしく、絢貴の姿を見かけるとそっと顔をそらせてしまう。
無理に受け入れさせる事柄でもないから、絢貴はしばらくようすを見ることにした。
(分からぬものだな──これほど想いを寄せておられる方を、見向きもなさらぬとは)
口にはせぬものの、どこか他人事のように考えてしまう絢貴である。
婿取られてからの絢貴の起居する場所は、当然、右大臣邸になるのだが、これには思いのほか気を遣った。
何しろ、女とばれては身の破滅である。
万事に緊張しつつ日を過ごす絢貴のようすを、幸い、右大臣家の人々は「まだお若いから、恥ずかしくていらっしゃるのだろう」と好意的に解釈してくれ、下にも置かないもてなしである。何しろ、若い者にはありがちな浮かれたようすが絢貴には微塵もなく──それこそ、実家の左大臣邸や宮中での催し、宿直のほかにはめったに外泊もせず、まるでまったき我が家のように毎日帰ってくるのだがら、右大臣家の人々にしてみれば嬉しくないはずがない。
ただ、月に四、五日ばかりを、いつも乳母の里で過ごすのが不思議といえば不思議だった。絢貴本人は「物の怪の仕業か、熱が起こりまして……」と苦しい言い訳をして身を隠すのだが、真実が右大臣家の人々に想像できるはずもない。
「御弱りになったときこそ、わたくしどもをお頼りくださればよろしいのに」
「いつも毅然としていらして。そこが素敵ではいらっしゃるのですけれど……ねえ?」
実際に絢貴の身の回りを世話する女房たちは不満げだが、こればかりはどうしようもない。
しかし、ほかの女性のもとで過ごすわけでなし。実際に、数日ぶりに姿を見せる絢貴は心なしか面やつれしているようすも見受けられるので、その時には、右大臣家の者たちは常にもまして甲斐甲斐しく世話を焼くのが恒例だった。
次第に絢貴の人柄に馴れ、その魅力に心を解かれていったのは、女房だけではない。
四の君、薫子である。
右大臣家の四人の姫、その末姫にあたる薫子は、父右大臣の愛情をひとしお強く注がれて育った。だから、その矜持がいつしか驕りに育ったのも、仕方のないことだったのかも知れない。
たかが中将、いや中納言ふぜいと、絢貴を侮り、帝の后妃には決してなれない我が身を人知れず嘆いた。
しかし、そうした隔意は、口に出さずとも伝わるものである。
初めて絢貴が夜の床に忍んできた時、薫子は無言だったが、頑なに絢貴の手を拒んだ。
薫子が身を許そうとしないのを感じ取ったのだろう。驚いたことに、絢貴は、何もしなかった。
しかも気分を害したようすは欠片も見せず、ただ薫子のようすを気遣うのみで、傍らに伏し、明け方前にはそっと出ていった。
後朝の文にも、恨みがましいことはなにひとつ書かれておらず、ただ薫子の身をいたわる言葉が並ぶばかり。そして、それは三日夜の餅を食べて後、今に至るまで、ずっと続いている。
お優しい方だと、最初は思った。
しかし、それが一ヶ月、二ヶ月と続くうち──薫子は、己の浅はかさを思い知った。
絢貴は、本当に自分を大事にしてくれる。女房たちがことあるごとに、よそにも出歩かないで、ひとすじにお通いになられるなど、本当に珍しい、まこと姫様はお幸せでいらっしゃる、とはしゃぐたび、その思いは強くなる。
絢貴は、優しい。
薫子を尊重し、無理強いをすることは決してない。
(わたくしは、何と愚かなことを)
身分にこだわって、その手を拒んだ。今も、共寝のたびに身を固くする薫子を、最初の夜と同じ理由でと思ってだろう、絢貴はただ優しく語らうばかりで、指の一本も触れてはこない。
浮かれ女のように、自分から誘おうなどと──思うだけで、冷や汗が吹き出る。
絢貴が、もっとふつうの男性であれば良かった。
美貌では、女御となった姉姫にも劣るまいと自負する薫子である。その自分の目から見てさえ、絢貴は優美に美しい。
このひとの妻になれたなら、ほかの姫ならばそれこそ夢のように思うだろう。素直に喜びを表し、一身にその愛情を受け止めただろう。
自分は、何もしなかった。初めてその姿を目の当たりにしたとき、何と美しい若君だろうと感嘆したが、同時に見くだしもした。
聡い絢貴が、それに気付かぬはずもないと言うのに。
絢貴は、安堵していた。
理由は言うまでもないだろう。なぜか四の君に拒まれたとき、驚きもしたが、運が良いと思ったのが正直なところだ。
結婚した以上、妻はもちろん大切にするつもりだったが、夜ばかりはどうしたものかと頭を悩ませていた。
ごまかしが利く行為ではない。いっそのこと、真実を打ち明け、一定の期間を協力してもらおうかと思ったが、まだその人となりも分からぬ状態で、そんな危険をおかすわけにもいかない。
とりあえず、初夜だけはしのがなければと、決死の思いで忍んだ床で、思わぬ拒絶にあったとき、どれほど絢貴が安堵したか──四の君が知る由もない。
いずれ、四の君が不審に思う時もやってくるには違いない。しかし、当分は余裕が出来たわけだ。
その感謝の念から、絢貴はいっそう四の君を大切にした。四の君も、最初の時よりはるかにうち解けたようすで、絢貴に対する態度をあらためた。
そうして周囲には、まことに仲睦まじい若夫婦の姿を見せることになる。
「いずれ劣らぬ美形だが、並んだところを見ると、いっそう美しいのう」
舅である右大臣は、夫婦の部屋を訪れるたび、上機嫌で笑った。
ただ、若いだけにもっとこう、あつあつぶりを見せつけてもらえるのでは──と密かに期待していたのだが、予想は外れ、上品に穏やかで、微笑ましいほどの仲の良さである。
「まあ、絢貴どのの性格では、そうもなるまい。仲良きことは、良きことかな」
ひとり納得し、うなずいている右大臣に、絢貴も四の君も苦笑している。
知らぬが仏。姫の胸のうちも、婿の思惑も知らぬ今、一番幸せなのは、この右大臣邸の人々だった。
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