[ 弐十参 四の君 懐妊<一> ]
そうこうするうちに日は移り、三、四ヶ月ばかりが過ぎた頃。
相変わらず、四の君はどうすることも出来ない我が身を嘆くばかりで、毎日を鬱々と過ごしていたのだが、主の苦悩を知らぬ女房たちは、目に見える変化に気付き始めた。
「ねえ。姫さま、なんだかお変わりになられたと思わないこと?」
「あなたもそう思う? わたくしも、もしやと思っていたのだけれど」
囁き交わす女房たちの声も、己の思いに沈む四の君には聞こえない。
やがて、父である右大臣までもが、こう言い始めた。
「この数ヶ月、どこがどう悪いと言うわけでもなく、このように伏せっておるのはもしや、赤子が出来たのではあるまいか?」
訊ねられた女房たちは、まだしっかりと確かめたわけでもないので、すぐには返答できない。だが、御湯などを差し上げる者らがよくよく気を付けて確かめれば、もはや疑いようもない。
「確かに、姫さまのお身体に、それとお兆しがありましてございます」
「そうか!」
それを聞いた右大臣の喜びようときたら、たとえようもない。
「中納言どのが、一途に我が姫に通い続けて下さったものなあ。あれほどの器量のおひとであれば、よそに通う女人が幾人あろうとも咎めだても出来ぬと言うのに、いささかの浮気心もなく、我が姫に尽くしてくださる御心の、何と尊いことよ。これぞ婿の鏡と世間に言いふらしたいほどだ。まして、中納言どのに似た赤子が生まれたならば、それこそ我が家の光となろうよ」
ほとんど涙ぐみながら右大臣は述懐していたが、はたと膝を打った。
「これはしまった。これまで安産の祈祷などしておらなんだことよ」
ただちに僧侶に遣いを出すよう指示し、自らは高笑いをしつつ娘のもとへ向かった。
ざわざわと大勢のひとの動く気配に、薫子はまどろみから覚めた。
女房の気配とは別のひとの気配を感じ、身じろぐと、それに気付いた誰かが帳越しに声を掛けてきた。
「姫や。気分はどうかね」
「……父上さま」
父その人だと知って、薫子は身を起こした。
「ああ、苦しいのならば無理に起きずとも良い。大切な身体なのだからな」
何か変だ。ふと、そう感じた。
今までも、何度か父は見舞いにやって来た。だが、いつもはひたすら娘の身を案じ、いたわるばかりだったのに──気のせいでなければ、右大臣は、明らかに喜んでいるのだ。
そうした薫子の戸惑いをどう受け取ったのか。やがて、右大臣は喜色もあらわにこう言ったのだ。
「いや、よもや懐妊とはわしも気付かなんだ。知っておれば、ぬかりなく祈祷などさせたものを──」
薫子は、目を見開いた。
この数ヶ月、いつになく気分が悪かった。それは確かなこと。
だが、気鬱の病からくるものだとばかり思っていた。ましてや、逢瀬を重ねる事に嘆かわしく、心細く思うばかりで。
ほんとうに身ごもっていたなら、絢貴はどう思うか。どんな顔をして会えばよいのか──。
今さら思い知った現実に汗みどろになり、じっとうずくまっていると、初めての妊娠を恥ずかしがっていると勘違いした右大臣が、
「何を恥ずかしく思うことか。最愛の婿君の御子ぞ、胸を張っておれ」
父が心底喜んでいるようすが手に取るように分かって、薫子はいっそういたたまれない。
やがて、母屋に戻った右大臣は、四の君に果物を届けるなど、さまざまな手配に余念がない。
母たる北の方にも「早く行ってみてやりなさい」と急かしたが、
「まあ。あまりあかさらまに仰いますな。あの子も恥ずかしがっておりましょう」
やんわりと北の方が諭したが、喜びに溢れた右大臣は聞く耳を持たない。
「そなたは女御さま方のことばかり気に掛けて、この娘のことはなおざりなのだな。だいたい、こうもはっきりするまで娘の懐妊を知らぬ女親がいるものか。見よ、わしが大切に慈しんできたおかげよ。胸がすっきりしたわ」
あまり熱心とは思えない北の方に憤慨し、次には乳母たちを呼んだ。
「中納言どのはお若い。きっとまだご存知あるまい。今日は日も良いゆえ、夜おいでになったなら、それとなく申し上げよ」
そう命じているところへ、当の中納言がお戻りになったと知らせが入る。
「それ、見よ。まだ宵の口にもおいでになられた。中納言どのが浮ついた心根のおひとであれば、どれほど胸を痛めることか。帝にお仕えしたとて、これほど大切にしていただけようか。このような素晴らしいひとに尽くされてこそ、女の幸せというものであろう。わしは、まったく良い婿を迎えたものよ」
鼻高々に言い散らすようすも、真実を考えれば哀れなことである。
戻 る 進 む
(C)copyright 2004 Hashiro All Right Reserved.